鉄オタ税理士のブログ

30年間の慣習行事と「寛容」

令和2年明けましておめでとうございます。

新しい事務所で迎える初めての新年です。

気分新たにお客様のため仕事に邁進していく所存です。

どうか皆様のお力添えをお願い申し上げます。

さて大晦日ですが、私はこの仕事を始める時(28年前)よりさらに前から、凡そ30年以上の間一度も欠かしたことのない大晦日の行事があります。

それは、近所のお寺で「除夜の鐘」を突くことです。

毎年家の近くで大晦日に聞こえる108の鐘の音のうちのひとつが必ず私が発したものです。

この「除夜の鐘」の由来は諸説ありますが、やはり「108の煩悩を払う」というのが一般的なようで、私もその年の1年の自省の念を込めて突いています。

ところが、正月に帰省した兄から耳を疑うような話を聞いて悲しい気持ちになってしまいました、

それは兄の住む地域の「除夜の鐘」が、「暴走族」同様、近隣住民の騒音防止の見地から中止を余儀なくされたとのことです。

確かに兄の住む地域は、私の住む金沢のさらなる辺地とは比べものにならない人口密集地ではありますが、それでも「除夜の鐘」と「暴走族の爆音」と同意義に並べるのはどうしても抵抗があります。

私の大学の友人が九段下のマンションに住んでいましたが、1月2日の皇居一般参賀の時は「万歳」で目を覚ましたそうです。

また夏の花火大会もしかり、マラソン大会でも近隣住民には迷惑このうえないはずですが、それらは全て地域コミュニティの「寛容」によって成り立ってきたのではないでしょうか?

近年、1ミリでも多くの「権利」を主張する人たちは、この「寛容」を忘れてしまっている気がしてなりません。

寂れつつある商店街の店主に聞くと、昔は夏休みともなると、あちらこちらで子供の「はしゃぎ声」がして、うるさくて「商売あがったり」だった(?)そうです。

でもそんな親父さん達もどこか笑顔で、わんぱく坊主たちを見守っていた感があります。

ましてや「うるさいから幼稚園の運動会を屋外でするな!」なんてことは絶対に言わなかったはず、それが地域の「寛容」でした。

今回「除夜の鐘」は順番をつくことなく、すぐに突くことができました。

多分私の住む地域では、今後も「騒音防止」で除夜の鐘禁止となることがないでしょう。

しかし逆に突く人間が108人も集まらなくなる時代がくるかもしれません。

だからこそ、地域の「寛容」は重要だと思います。

否応なく「超高齢化社会」はやってきます。
そんなときに「自分の権利」だけ主張していては地方のコミュニティは破綻します。

「寛容」の心を持つ世の中 そう願う今年の正月元旦でした。

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